日本菓子の歴史

菓子が日本に伝わったのは

では日本にはいつお菓子というものが誕生したのかを紐解いてみる。スイスロールは1930年代に流行ったと言われているものだが、お菓子そのものについてはそれこそ大陸からの輸入によって文化が来たこともそうですが、実はそれ以前より先にお菓子そのものは日本独自でも開発されていた。パンとも違うそれは、果物などを含めて作られ始めた時代と言われているのが、紀元前から大和時代頃と考えられています。

砂糖というものがまだない時代です、どういったものが出ていたのかは想像に固くはないでしょう。それこそ果物一個出すだけで十分デザートといっても差し支えない時代だ。ですが中には常世国、ニライカナイや理想郷といってもいいでしょう、異世界から菓子を伝播したものがいたという話もあります。ただあくまでこうした話はどうにも宙に足付かない物となっているので、もっと具体的に史実として話せるものから抽出してみよう。

遣隋使以降から

そうなるとやはりキーワードは遣隋使や遣唐使といったことが行われていた奈良時代以降になるでしょう。やはりこの頃に、歌詞の作り方などが言い伝えられるようになっていき、これまでの穀物を加工したものに比べてみると、味や形に製法などが優れたものとなっていき、日本の菓子となる原点が成立していくこととなっていく。砂糖が日本に輸入されたのは平安時代末期のこと、これによって日本は日本独自の菓子文化を歩み始めるようになっていった。

和菓子という文化が今現在でも日本で成立しているように、日本の菓子には独自の魅力が秘められている。和菓子という日本の文化が全国的に普及したのが鎌倉時代以降となり、その後ザビエルなどのキリスト教などの宣教師たちにより、カステラの原型となるお菓子を多数持ち込んだことも日本の貸文化に大きな影響を及ぼしていった。日本には茶道という文化があるため、そのお茶のお供をするためにお茶菓子を用いるのは大和撫子にとって必要なものだったのも分かるはず。

時代によって鎖国という形をとることになりましたが、和菓子という文化がこの時に現在まで続く源流となったのもこの頃からとなっている。江戸時代まで、日本の菓子文化はとても閉鎖的なものでしたが、大政奉還などにより開国すると同時に日本人にも世界の菓子とはどういうものなのかが伝えられていったのです。

ドロップやビスケットの登場

明治維新以降に日本文化には、それまで考えもしなかったお菓子がいくつも輸入されていきました。その中には何かと話題を集めやすいドロップだったり、またはビスケットなどもこの頃から日本史実にも登場する。またチョコレートなどもこの頃に登場しているので、日本で菓子職人として生計を立てていた人にとっては衝撃的だったはず。またこの頃に製菓会社なども設立されていったので、戦争前とはいえ日本に住む庶民にすればこの頃がまだ幸福と言える時代だったのかもしれません。

半ば暴走して参戦した戦争の果てに

順当に話を進めていけば、その後の戦争により製菓分野に大きな影をもたらしたのもこの頃からだ。世界大戦勃発により、輸入頼りだった砂糖は規制を受けることとなってしまい気軽にお菓子と触れ合えなくなる。そもそも戦争中は国民たちに食料配給すらまともにすることがなくなるなど、内部から色々とがたが来てしまっていた。それでも勝てると思い込まされていた人々に蹴落とされるよう、現実的な人にすればその後の終焉がどのようになるか、想像していたかもしれません。

案の定敗戦した後は、さすがにすぐとは行かなかったものの昭和27年に砂糖の統制が撤廃されたことにより、国から指図されること無くお菓子が作れるというポジションが確立されていった。戦争後は和菓子はもちろん、洋菓子も続々と輸入されていき、誰もが楽しめるような時代が着実に下積みされていったのです。その後昭和46年にはガムやキャンディーなどの菓子も自由化されて、いつでもどこでも食べられるようになっていった。

この中でもやはり注目すべきは、洋菓子の中でも定番中の定番だったスポンジケーキの一種だ。スイスロールが昭和30年頃に登場して流行って以降、日本人には馴染み深い菓子と言われるくらいになっていく。スポンジケーキを作るにしても小麦粉は不可欠、つまり穀物となっている。お米大好きな日本人にとっては最高の菓子であり、相性も良いと言えるのではないか。同じものとはさすがにいえないものの、分類として十分組み込めるので大当たりだったのかもしれません。ここに来てようやく西欧文化の菓子と日本文化の菓子がクロッシングしたと言えるかもしれません。